「能力に合わせた教育とは

日本と欧米の雇用問題から

発端はこれ。

日本の終身雇用制度と欧米の能力主義、はたしてどちらが必要なのか。私の答えは、終身雇用制度が日本の技術の発展を遅らせるかもしれないが、能力主義を導入するには、ハードルが高すぎるのではないか、ということだ。

近年は、コンピュータを使いこなせるか、使いこなせないかで、まず能力のあるなしを判断される。現代社会において欠かせないコンピュータを利用できない社員がいることは会社にとって不利益である。いままでのような終身雇用制を一律に適用してしまえば、時代に取り残されてしまうこともあるかもしれない。

しかし、学校社会において均質化された日本人が、社会に出たとたんに能力主義を要求されることにはハードルが高いのではないか。もし能力主義を適用するなら、それぞれの能力に合わせて教育をうけられるようなシステムが必要であると思う。

「能力に合わせた」教育の具体策

では、能力にあわせた教育とは何なのか考えてみたい。それは単なる「能力別授業」のことではないし、能力別授業をしたからといってすぐに理解度があがるわけではないことはすぐに分かっていただけると思う。

そこで思いついたことを挙げると:

要するに、多角的な方面からその問題にアプローチできるようにするのが、能力に合わせた教育を多人数に対して行うのには有効ではなかろうか。したがって、教員が多角的な視野を持って授業をなし、生徒が多様な価値観を認め合えるような環境づくりが第一である。

障害者の高等教育における意義

日本国に唯一つの障害者高等教育機関である「筑波技術大学」は、障害のある人間が能力に応じて教育を受けられるシステムになっている。

日本にこの4年制大学が開学したことは画期的なことであり、ろう者の社会的な権利・手話を使う権利が今まで主張されてきたが、今後は能力に応じた教育を受けられるように、健聴者のサポート、および、ろう者(難聴者)同士だけではなく、他の障害者との相互の連携について議論されていくだろう。

フィンランドでは手話が国語である。そのことについて3月に講演を受けることができるようだが、それは何を意味するのだろうか考えてみたいところだ。

障害者の相互理解の発展や、障害者が能力にあった教育をうけられる機会の増加によって、健常者が価値観の多様性を認めるきっかけになると考えている。