養老孟司氏は「皮膚を無理やり移植したら、免疫抑制剤を飲まなければいけない。
」(『バカの壁』より引用)というたとえで、遺伝子は一生変わらない、なら個性は生まれもってついてくるものだ、といっている。私としては、個性は変えることができないということは、この一言で説明するに足ります。
伸びるのは、個性から生まれる能力です。そこを勘違いすると、わけがわからなくなるはずです。
一般にオタク趣味…鉄道、フィギュアとかゲームとか色々あるでしょうが、表に出して語りでもしたら周囲にドン引きされます。オタクはひきこもりでキモイ顔という印象があるから。個性を出せない原因は、周囲のレッテルや偏見にあります。
つまり、本当に好きなものはあるけど、あくまでもかっこよくてスポーツ好きのお兄さんとして見られたいのなら、隠さなければいけない。現実でうまく生活していくには、個性にフィルターを掛けなければいけないんです。
でも、好きなものをもっと表現していきたいという欲求、それが「個性を出したい」ということです。枠にとらわれない自己表現を許すという意味で「個性を出していいよ」というのが正しい使い方でしょう。個性を発揮することを許されている場所なら、太陽を緑とも青とも、海をピンクにもしていいはずです。
それは残念ながら今の画一化をはかるような社会では許されていることではありません。ならば「個性を出せ」といわれたら、それは「何か特徴をもたせなさい」ということと解釈して、工夫をもたせるなりするのが現実的でしょう。
個性の話をするのなら、「自分探し」につながっていきます。
個性は、あなたのもともともっている性質です。父母からの遺伝で、体の外面が似ていることがあります。一方、「自分探し」ですることは、あなたの未来像を探るということです。いつでもどこでも実行することができ、誰でも実行することができます。こうすることによって、生きていく気もわいてくるでしょう。
今の学校教育で、自分探しというのが流行っているようですね。なんでそんなことをやるの?誰かが敷いたレールの上をただただ歩んでいくのはやめよう、自分の足で生きよう。年功序列・終身雇用制度が崩れ、能力、実力、成果主義の厳しい競争社会になってきたことが影響しているのです。
「自分探し」をして変わるものは、「性格」や「考え方」です。思春期というのはものの見方が変わる時期です。大人がどう見えるか、それが一番大きく変わっていくのです。今までは大人は何でも知っているという印象があったけれど、政治家の賄賂事件なんかを見ていると「汚いなあ」と思う。ものを多角的に見ることができるようになる、それが大人への第一歩といえます。
では、なにをすればいいでしょうか。他人から見た「性格」や「印象」はいくらでも変えることができるんです。普段の考え方一つで、プラス思考、マイナス思考に傾けることができます。髪型を変えたり、ちょっとしたことで雰囲気が変わって、気分も変わる。今のあなたを客観的に見る、これが「自分探し」です。
いま、何かに固執しているような状態にあると、いくら自分探しをしたって何も変わりません。一見厳しい言葉のように思えます。でも、ごくあたりまえのことなのですよね、まわりがみえないのですから。
個性は変えることができません。でも、人から見たあなたの性格や考え方、印象は変えることができます。鏡で見た「あなた」はどういう人ですか?